作り手のことば「道具でありながら、それだけではないのがカトラリーの面白さ」造形作家・小西光裕さんインタビュー
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生まれ故郷である兵庫県宍粟市(しそうし)で、金属のカトラリーを中心に制作活動を精力的に行う造形作家・小西光裕さん。ご自身の作品の展示販売や企画展を行うギャラリー「物|事 田疇(もの|こと でんちゅう)」も運営されています。
今回、煎茶堂東京で小西さんの作品をお取り扱いするにあたり、小西さんのお人柄、カトラリーや作品づくりに対する想いなどを伺いました。

小西さん、今回はよろしくお願いします。まずは、簡単なプロフィールを教えていただけますか。
よろしくお願いします。私は1981年、兵庫県宍粟市生まれです。沖縄の大学で彫刻について学んだ後、岐阜での作家活動を経て、兵庫に帰郷して現在に至ります。

カトラリーを作ることになったきっかけを教えてください。
もともと大学では彫刻を専攻していて、当初は金属で大きな作品を作っていました。カトラリーを作るきっかけになったのは、大学院生時代のある経験です。陶器が好きだった私は器屋に通っていたのですが、そこのご主人からこう言われたんです。
「デカい彫刻もいいけど、その造形感覚を家に持ち帰れるようなサイズの物で表現してみてはどうだ?例えば、カトラリーとか」
正直、当時の私は美術系大学という世界に、少し息苦しさを感じていました。ところが、その一言をきっかけにカトラリーを作り始めると、いろんな界隈の人たちの交流が始まり、自分の感覚がスーッと周囲に浸透していく感じがしたんです。
それからは「道具ではあるものの、それだけではない」というカトラリー制作の面白さに、どんどん心を掴まれていきました。

あるインタビュー記事で、小西さんが「最初は木や石を使って作品を制作していた」という内容を拝見しました。木や石ではなく、金属で表現するに至った理由を教えてもらえますか?
私自身、田舎の生まれなので、木や石に親近感はあります。ただ、木や石で表現しようとすると、作家本人の意図とは無関係に滲み出てしまう「精神性のようなもの」を感じてしまって。作品が素材によって担保され過ぎている感じが、自分のやりたい表現と相性が良くないように思ったんです。
一方、金属は無機質で、木や石に比べて愛想がない感じ。ただの板であり、棒であるというのが、かえってフラットで私の表現に適しているなと。
そんな時に、リチャード・ディーコン※1、リチャード・セラ※2、ドナルド・ジャッド※3、若林奮※4、エドゥアルド・チリーダ※5といった作家の作品に出会って、影響を受けました。
あと金属は、材料を買う時、鉄工所のおじさんがトラックに乗って「あいよ!」って飾らない感じで持ってきてくれるのも好きです。

1949年、ウェールズ生まれ。現代イギリスの代表的な彫刻家の一人。金属や木材をはじめ、多彩な素材を使う手法が特徴的。パブリックアートでも広く知られる。
※2 リチャード・セラ:
1938年、アメリカ・サンフランシスコ生まれの彫刻家。2024年没。鋼板を使った抽象的な巨大彫刻を多く手がけた。
※3 ドナルド・ジャッド:
1928年、アメリカ・ミズーリ州生まれの画家・彫刻家。1994年没。アルミや銅などの工業製品を用いた「ミニマル・アート」のパイオニア。
※4 若林奮(わかばやし・いさむ):
1936年、東京都生まれの彫刻家。2003年没。鉄をはじめとする金属で自然を表現した、大型の彫刻を数多く残す。
※5 エドゥアルド・チリーダ:
1924年、スペイン・サン・セバスティアン生まれの彫刻家。鉄・木・鋼などの産業素材で制作した巨大彫刻で知られる。

小西さんの作品には、洗練された造形の中に、ちょっとした遊び心を感じるものが多く見られます。カトラリーの造形に遊び心を持たせる、意図や狙いがあれば、ぜひ教えてください。
カトラリーは日常的に使うものなので、もちろん機能や使いやすさも重要です。とはいえ、そればかり考えていると、最終的に機能的で「スンとしたもの」ができあがる。そんな作品を眺めていると「こういうものは誰かが上手に作ってくれる。自分の仕事じゃないな」と思ってしまうんです。
反面、根が真面目なので、ふと気がつくと「スン」に収まろうとする自分もいる。日々、自分の心の中にいるいろんなキャラクターが「ああでもない、こうでもない」「もっと自由にやれよ!」「いや…それはさすがに…」なんて、侃侃諤諤(かんかんがくがく)やっています。
私は、お笑いでいうところの「置きに行く(無難に収める)」ようなことを恥ずかしく感じる傾向があるんです。最近、心の中でそのような声が大きくなっているので、遊びとして作品に表れているんだと思います。

小西さんが、カトラリーを作るにあたって一番大事にしていることは何ですか?
前段の回答にも関連するんですが、マーケティング的に「こういうのあったらいいよね」で作るのはダメだと思っていて。作品はインスタ映えのための演者ではないし、簡単に消費されに行くような姿勢は嫌です。
大きな話になりますが、美術館に行って出てくると、入る前と世界の見え方が違うことってあると思うんです。この「なんやこれ」という感覚を想起させる装置として、カトラリーを機能させたいという願望はあります。

一方で、単なる表現にとどまってはいけなくて、実際に使う道具でもあるという制約が、私にとっては面白い部分。「一人大喜利」のように、日々ネタのごとくドローイングをしています。
そうした葛藤を経て生まれる作品を、自分自身期待しているし、この面倒なプロセスを大切にしています。
小西さんのInstagramを拝見すると、TOPに『理想は、見たことないじゃんけんの手』という印象的なフレーズが書かれています。この言葉に込められた、作品づくりへの想いや理想を聞かせてもらえますか。
じゃんけんはグー・チョキ・パーの3種類の手で戦うゲームですけど、ふと、小学生の時「すべてに勝てる無敵の手」をみんなで考えたことを思い出したんです。決められたルールがある中でも、「それは何?!」と新鮮に驚かせることができる手です。
作品づくりでは、カトラリー特有の「道具ではあるけど、それだけではない」という余白で何ができるか、というのを常に考えています。小学生時代に考えた「新たな手」は、まさに自分が理想とする作品像ではないかと思い当たって。
道具としての使い勝手や機能性は持たせつつ、「それは何?!」と驚きを与えられる作品を思いついて、世に出していきたい。質問の言葉には、そんな気持ちがこもっています。

最後に、今後挑戦してみたいことはありますか?
日々制作ばかりで、なかなか仕事場から外へ行けないのですが…機会があれば、料理人や器作家をはじめとした方々と、食や料理をキーワードにした展覧会を開きたいですね。
小西光裕さんの作品
| 物事田疇(小西光裕) HP:https://www.monokoto-denchu.com/ |











